2007年5月13日(日)

I ヨハネ4:7−8「母の愛」 (Mother’s Love)

4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

5月第二日曜日の今日は、母の日です。

今日は「母の日」にちなんで、聖書の教えについていろいろ御一緒に考えて見たいと思います。

母の日というと、教会とは関係がないことのように思う人もいるかもしれませんが、実は母の日は、アメリカの教会からでてきた伝統なのです。日本の母の日の由来は、20世紀のアメリカにあります。

アメリカのマサチューセッツ州ウェブスターという町にある或るメソジストの教会に、クララ・ジャービス夫人と言う牧師夫人で教会学校の先生が居られました。クララさんは26年間教会学校で子供たちにとても熱心に教えていました。彼女は、ある時聖書に書かれている「あなたの父と母を敬え」という教えについて話をしました。その話を先生の娘のアンナが深く感動しながら聞いていました。

190559日、そのクララ・ジャーヴィス夫人がなくなりました。娘のアンナ・ジャービスさんは、亡き母を追悼したいという思いから、510日、フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配りました。その悲しみの中でアンナは、「お母さんに対しては感謝の気持ちでいっぱいなのに、もうお母さんはもうこの世にいない。お母さんが生きているときにもっとお母さんを大切にして、感謝の気持ちを伝えたかった」と思いました。つまり日本流に言うと「親孝行、したいときには親はなし」と思ったのです。

私も今年の4月に母親をガンでなくしました。私は今まで毎年母の日に電話をしていました。でももうそれができなくなる時が来たんだな、としみじみ思わされました。去年ぐらいから真剣に親孝行のためにいろいろおいしいものを食べさせたり、いろいろなことを企画しましたが、結局十分親孝行できないうちに、胃がんの手術で食べることができなくなり、そのまま亡くなってしまいました。胃がんになる前にもっとおいしいものを食べさせてあげたかった、温泉に首に縄をつけてでも連れていきたかったと悔やみました。

娘さんのアンナジャービスさんも、もっとお母さんに愛と感謝の気持ちを伝える機会を持ちたかったと思いました。そして、多くの人に、生きているうちにお母さんを大切にしてほしい、お母さんを敬う機会を設けたいと思うようになりました。娘のアンナさんは「自分は母の愛を一杯に受けて、教会学校そして家庭で育ってきた。その母の愛に感謝を込めて」、という思いで葬儀のときにいっぱいのカーネーションを捧げ、また参列した皆さんにも配ったということです。一周年の記念日にも、彼女はお母さんの好きだったカーネーションを捧げました。その活動は徐々に大きくなりました。当時忠実なクリスチャンの郵政大臣であったジョン・ワナメーカー氏が彼女の運動を支持しました。彼は、もともとは当時アメリカの百貨店王といわれた人で、その事を聞くに及んで議会にかけて、「正式にアメリカの教会の行事としよう」、という事になりました。余談ですが、私はフィラデルフィアに住んでいたことがあるのですが、フィラデルフィアには、ジョンワナメーカーという百貨店の本店がいまでもあります。これがアメリカで一番古い老舗の百貨店で、日本の三越の本店の店の構造やパイプオルガンなどのアイデアは、このジョンワナメーカーのデパートのやり方を真似たものであります。さてこのクリスチャンのワナメーカー氏の運動によって、1907年頃には、母の日の祭日を設ける運動が全米で繰り広げられるようになりました。1908年5月の第2主日から多くの教会で、この日を「母の日礼拝」とするようになりました。その後1913年に母の日が、アメリカの議会で満場一致で制定されました。これがアメリカの他の州へと広がりました。1914年、ウィルソン大統領が5月の第2日曜日を母の日と制定しました。赤いカーネーションは、愛を象徴しています。白いカーネーションは尊敬や純潔の愛を象徴しているということです。当時は、母性愛を表すカーネーションの赤い花は健在なる人、母がなくなられた人は白い花を胸に飾り、母への感謝の意を表しました。

日本では大正時代に、当時青山学院の教授だったアレクサンダー女史により紹介され、1915年(大正4年)より、キリスト教会で祝われ始め、1923年(大正12年)に最初の大きな母の日集会が開かれました。そして徐々に一般に広まっていきました。一般に広く知れ渡ったのは1937年(昭和12年)森永製菓の社長でクリスチャンであった森永太一郎さんが告知を始めたことをきっかけにするともいわれています。そして日本は、アメリカに合わせて、1947年から5月の第2日曜日を母の日として制定されました。長々と母の日の由来を説明しました。母の日は、日本でもアメリカでも教会から始まった伝統であります。そしてそれは、モーセの十戒に書かれている「父と母を敬え」という聖書の精神に根ざしている運動なのです。ですからクリスマスやイースターだけでなく、母の日を教会でお祝いすることはおかしなことではないのです。

へー、知らなかった、と思っている方もこの中にかなりいるのではないかと思います。

きょうは、母の日にちなんで、母の日の背後にあるキリスト教の精神を知り、母の日を意義深くお祝いしたいと思っています。

母の日を迎えるたびに、多くの人が自分の母を思い、母の愛を思い出します。この日は母に対する感謝を素直に表すことができるよい機会でもあります。またお母さんである方は、いよいよよいお母さんになれるよう努力したいものです。

それとともに母を与え、真の愛を教えてくださった神様を知り、この神様との正しい関係をもつことによって、人を愛することができる人になりたいものだと思っています。

きょうは、三つのことをお話いたします。第一に母を敬うべきことについて、第二にどういう母親が素晴らしい母親なのかについて、第三に愛についてお話します。

第一に、私たちは母を敬い、母に感謝をしましょう

聖書で、母をどう扱うべきかが書かれているところをいくつか引用いたします。

第一がモーセの十戒の第五の戒めです。

出エジプト記2012節にこう書かれています。

    20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。

もう一つ箴言23章25節、

    23:25 あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ

 

何故自分の親を敬わなければならないのでしょうか?何故不完全で欠けの多い母親を敬わなければならないのでしょうか?

この世の中には、母に捨てられたとか、母によって傷つけられたとか、さまざまな苦労を経験した方もあるでしょう。そういう方にむかって母に感謝しなさいというのは難しいかもしれません。しかし聖書は、「自分を生んでくれた母を楽しませよ」と教えています。何故母を敬うべきなのでしょうか?

私が4歳の時に時に、あることに気がつきました。幼稚園の先生は、生徒をみなをまとめて扱います。公平に生徒皆に語りかけます。でも自分の母親は、自分を特別に大切にしてくれます。なぜなのだろうと不思議に思いました。それで母親が買い物かごをもち、市場に買い物に行く途中、私は母に手を引かれている時でしたが、私は母親に向かって質問しました。そのころ私は大阪にいましたので、「ママ」とはいわずに、大阪弁で「おかあちゃん」と言ったはずです。

「幼稚園の先生はぼくだけ特別にしないのに、どうしておかあちゃんは僕ばかりかわいがるの?」そう母に向かって質問しました。ここに幼稚園のお父さんお母さんが来ています。お父さんお母さんはカメラをもったりカムコーダーを持ったりして、自分の子供のことばかり見ています。どうしてでしょうね?

私の母親は私の質問にこう答えました。「そりゃあ、あなたはおなかをいためた子供ですもの。」

私は「おなかをいためた子供」という意味が全然わかりませんでした。それで母親に聞きました。

「おなかを痛めるって、僕を生んだとき、おなかを切ったの?」「切る人もいるのよ。私はあなたが生まれたときにはおなかを切らなかったけれども、すごく痛かったのよ。」私はさらに聞きました。「おなかを痛めると、子供をかわいく思うの?「そうよ。」「おなかが痛かったから、僕はかわいいの。生まれてくるときに痛くなかったらかわいくないの?」

「馬鹿ねー。」それっきり母は私の疑問に答えてくれませんでした。私が大きくなって自分がおなかをいためた自分が生んだ子供を特別に愛するという親の気持ちがわかってきました。

聖書は「あなたを生んだ母を喜ばせよ。」と言います。私たちは、母を思い返し、私たちのために「生みの苦しみ」に耐えてくれた母親に感謝することは当然ではないでしょうか?たとえ母親があまり自分にいいことをしてくれなかったとしても、とにかく自分を作り、自分を生んで、自分を愛してくれた、それが先にあったのです。親は自分の子供を特別に愛します。どうしてか、それは自分が作ったからです。子供は親を敬うべきです。それは自分を作り、自分を愛し、自分を育ててくれたからです。

それは私たちが何故神を敬い、神を愛するべきなのかの問いと関係します。何故私たちが神を敬うべきなのか、それは神が私たちの命を造ってくださり、愛してくださり、育て守ってくださっているからです。

私たちが私たちの作り主であり私たちを支えてくださっている神を感謝するのと、私たち生んでくださり私たちを育て養ってくださった母親を感謝すべきこととは、関係があることなのです。

 

第二に、しっかりしたよい母親とはどういう母親なのかについてお話します。

母親には特権があります。それは子供を生み育てるという特権です。当たり前のように思えますが、社会で活躍している人材はみなすべて母親によって養われ、育てられてきたのです。

ヨーロッパのことわざに「ゆりかごを動かす手は、世界を動かす」とあります。それは母親によって育てられ養われた子が、やがて一人前の人間として成長し、社会に出て活躍する人物になることを意味します。社会で立派に活躍する人を生むということ、それは、母にしか持てない特権です。今日まで、世界を動かしてきた偉大な人びとはみな、しっかりしたよいお母さんによって育てられてきているのです。しっかりしたよいお母さんがよい家庭を作り、良い社会を作っているのです。

ひとつ例をあげましょう。アメリカの16代大統領,奴隷解放をしたアブラハム・リンカーンといえば知らない人はいなでしょう。リンカーンは、貧しい農家の生まれでした。家は貧しかったけれども幸せなことに、彼は非常に敬けんなナンシーというお母さんに育てられました。

リンカーンが10歳の時,母ナンシーは自分の死期が近いことを感じて,その臨終の床で、お母さんのナンシーは枕元にリンカーンを呼んで、一冊の聖書をさして言ったそうです。そして言いました。「私はあなたが、100万工一カーの大地主になるよりも、この聖書をよく読んで、本当に聖書に生きる人となってくれることを、望んでいます」。

そしてこう伝えました。「私はあなたがどんなに偉い人になるよりも,聖書の教えるとおりに生きて欲しいの・・・」

それからその一冊の聖書を息子に手渡すと彼女は息を引き取りました。死を間近にした母親が,自分の息子に語る言葉に偽りがあるはずがありません。母ナンシーは自分亡き後,息子リンカーンを聖書に託したのです。そう遺言して、天に召されていったのです。リンカーンはお母さんの遺言を大切に守って、生涯をとおして聖書に生きる人となりました。

リンカーンは、母の死後二度目の母サラによって育てられました。

この母も神を信じ、キリストを救い主と仰いで祈り深く子供たちを育ていました。

ある時母はリンカーンに同じようなことを言いました。

「あなたはたくさんの田畑を持つ人になるよりも、この一冊の聖書の持ち主になってください。」

リンカーンはこの言葉を実行し、いつもこの母と、母を賜った神に感謝をして生きました。リンカーンは母の遺言どうり、聖書を愛読し、聖書の教えに従って真実に生きようとしました。

リンカーンは、商売をしていた青年期には、お客さんが忘れていった1セントのお釣りを、わざわざ店を閉めて届けて、「正直者エイブ」と呼ばれました。

彼は、大統領になるまでに、何回も選挙で失敗したのですが、そのたびに彼を立ち直らせたのも、その聖書でした。

リンカーンはこんな逸話を話しました。「私が幼かったとき、私の母は、私を膝の上に乗せて聖書を勉強させました。その中で、今も憶えている聖書の御言葉があります。ローマの信徒への手紙 828節『神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。』です。
私は、私が苦い杯を飲み、落選し、苦痛を味わう度ごとに、この御言葉を思い出しては口ずさみ、信仰と夢を捨てませんでした。その結果、今日、私はアメリカの大統領になりました。」

やがて16代大統領になったとき、「わたしが今のように生きているのは、母から与えられた聖書のおかげです」と深く感謝しました。

大統領になってからは、いつも民衆の暮らしを最優先にする政治を志しました。また、その生活も、高級な革製品ではなく、安い紙製品の帽子を愛用するなど、実に質素なものだったということです。今日の私があるのは、母の遺言のおかげです」と、彼自身が語ったとおり、お母さんが人生の最後に彼に託した一冊の聖書が、彼の中で働いて、奴隷制度を廃止するという歴史的な働きを成し遂げさせました。

彼は幼い頃から、母に聖書を読み聞かされて育ちました。リンカーンは言いました。「聖書はこれまでに神がくださった最上のギフトであると、私は信じている。世界の救い主から発する一切の良きものは、この書を通して我々に伝達される」。

リンカーンはしっかりした母親の影響を受けて立派な人間になりました。

ではどういう人がしっかりしたよいお母さんなのでしょうか?どうしたらしっかりしたよいお母さんになることができるのでしょうか?

その答えの一つが箴言31章のところに書いてあります。全部は引用しませんが、箴言31章の10節と25節から30節までのところを引用します。

31:10 しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。

31:25 彼女は力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ。

31:26 彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みのおしえがある。

31:27 彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。

31:28 その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。

31:29 「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている」と。

31:30 麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、【主】を恐れる女はほめたたえられる。

この箴言31章の著者であるレムエルという人は1節によれば、その教えを母親から受けたと書かれています。そして母親の模範があってこの31章を書いたと思われます。

ここにしっかりした妻像、しっかりした母親像が描かれています。

この母親は25節で「気品を身につけ」、26節で「口を開いて知恵深く語る。その舌には恵みの教えがある。」と書かれています。しっかりした奥さん、しっかりした母親は気品があり、知恵深く教えることができる人です。子供を知恵を持ってしっかり教育している人です。

そして27節「家族の様子をよく見張り、怠惰のパンをたべない」とあります。ぼさっとしていないで、家族全体を見張り、きちんと家庭を管理している人です。

箴言3130節やペテロの手紙などに書かれているように、女の人の美貌はだんだん衰えていくもので、表面の美貌にとらわれるよりも気品とかしとやかさという心の美しさの方がもっとも大切です。そしてそういうしっかりしたよい妻よい母親になることの秘訣が箴言3130節に書かれています。それは主を恐れる人になることです。

信仰をもって、愛と知恵を神様からいただき、神である主を恐れながら畏怖の思いをもって神を礼拝し、神のみ旨に従っていく人、これがしっかりした妻しっかりした母親になれる秘訣です。神様をおそれる生き方をすると、夫や子供から誉められる母親になることができるのです。みなさんもそういう人になりたいと思いませんか?

第三に、愛についてお話をいたします。

ヨハネ第一の手紙48

4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

不思議なことに、親は自分と血がつながっているというだけで、生まれる前から自分の子供を愛し始めます。子供のできがよい悪いと関係なく、とにかく子供愛しはじめます。身体障害児を持つ親は、余計子供を愛するということもよく起こります。子供のできがわるいと余計子供を愛するということも起こります。愛にはいろいろな種類があります。価値があるから愛する愛、これをギリシャ語でエロスといいます。これとはちがった無条件の愛があります。神様が私たちを愛してくださる愛は、価値があるから愛する愛ではなくて、価値がなくても愛してくださる無条件の愛です。これをアガペーと言います。神の愛は無条件の愛です。アガペーの愛です。この愛は親が子供を無条件で愛する時の愛に似ています。

親は、子供を無条件で愛する必要があります。これが私たちに要求された神の大切な教えです。でも親は、この愛をなかなか実行できないことがあります。親の愛が純粋でないこともあります。

「自分の子供がいい子になったら愛してあげよう、悪い子の時は憎たらしい」と思うこともあります。いい成績をとったら愛してあげよう、自分の言うことを聞く子供になったら愛してあげよう、と思うこともあります。

でも親の愛は、成績と関係なく、まず親が無条件で子供を愛するべきなのです。

そしてその愛が子供を育てます。愛がなければ、どんんなに厳しくしつけても、子供は育ちません。

子供をいい子に育てたかったら、まず自分が愛の人になる必要があります。

どうしたら自分が愛の人になることができるのでしょうか?それは、神を体験することから起こります。

神は愛です。愛の根源は神から来ています。神様と深く交わる中で、神様の愛がどんなものかがわかってきます。

この愛はキリストの十字架によってあらわされています。人がその友のために自分の命を捨てるという、これほど大きな愛はないと聖書に書かれています。

イエス様は私たちの罪を贖うために、私たちの罪のぺナルティーをみな自分の身に負い、身代わりに十字架にかかってくださいました。イエス様は私たちを救うために、身代わりに十字架にかかって死んでくださったのです。ここに愛があります。このキリストが私たちに示してくださった神の愛、アガペーの愛を持って子供を愛し、夫を愛し、隣人を愛するときに、円満なよい家庭を作ることができ、よい子育てができます。

よい親となるために、神を中心に家庭を築き、聖書に示された愛を実行していただきたいと願っています。

そしてぜひキリストにおいて啓示された神の愛を学び、愛にあふれたよい家庭を作っていただきたいと願っています。

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