2007729日(日)

ヘブル10:21−25「教会の建て直し」(Reconstruction of the Church)

 

先週は、神様が実にみごとなタイミングでアクションをとってくださり、ビザの問題が解決されたお話をしました。私の小さな頭では解けなかった高度なパズルを神様が見事に解いてくださって、JCFで牧会を続けることができるようになったことで神様を賛美しています。

政府からペティションの認可が来たことにより、私はアメリカを出なくてはいけない状態から、アメリカを出てはいけない状態になりました。I-485を提出するにあたって健康診断を受けなければならなくなりました。ところがこの健康診断で一回ひっかかってしまいました。結核(TB)にかかっているかどうかの検査で私は陽性とでてしまったのです。つまり結核菌が体の中にあるという反応になってしまったのです。そのために胸のX線写真を撮ってもらわなければならなくなりました。もしX線写真で結核になっているという検査結果になれば、もうグリーンカードの申請はできなくなります。

水曜日にその検査結果が出て、診断は私の体は全く正常(Normal)で結核にかかってはいない、ということでした。そして健康診断は、全般的に全く正常という検査結果がでました。その証明書を添えて、連邦政府に書類を送る手続きをすべて終え、無事発送できました。

弁護士の話しですと、あとは2−3ヶ月たてばで自由に働けて、自由に外国への出入りが出来る状態になるとのことです。

私は7月20日に弁護士に詳しい大切な質問をしました。現在私は雇用者であるMichigan BGCからvisa leaveを取り、Paycheckをもらわずにボランティアーとして説教をし牧師の仕事をしています。それで弁護士に合法的かどうかの大切な質問をしました。私がボランティアーとして説教し、牧師のポジションについていることは法にかなうことかどうか、という質問をしました。すると答えは、それは法律にかなったことである。あなたは牧師のポジションがあるのでアメリカに滞在が許されているので、牧師のポジションから離れてはいけない。ビザリーブは風邪を引いた時のシックリーブのようなもので、ビザリーブをとってペイチェックを雇用者であるMBGCから一時的にもらっていないからといってポジションがなくなるわけではない、という答えでした。そして政府からの決定が下されるまで、アメリカに滞在できるとのことでした。

というわけで今までどおり教会を続け、私もしばらくはボランティアーとしてですが仕事を続けることができること、また幼稚園も今までどおり続けることができるようになったことを神に感謝しています。

またIさんも入会申し込み書を提出なさり、入会されることになったことを喜んでいます。

JCFは毎週の日曜礼拝が始まってから、もうそろそろ五年たちます。みかけはもう立派な教会ができあがってきたように見えますが、実はまだまだ改革しなければならないところがたくさんあります。本当のところ、もう一度教会を立て直し、やり直さなければならないところに来ていると考えています。

一般に多くの教会が牧師と宣教師が協力して教会を立て上げています。それで宣教師であられるデヴィッドローウェン先生とマークケイン先生に顧問(Pastoral Adviser)となっていただき、役員会にも参加してJCFを助けていただくことになりました。

きょうは教会の改革と建て直しを目的にして、ヘブル人への手紙10章から、神の言葉を学んでいきたいと思っています。

まず21−23節を見てください。

10:21 また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。

10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。

教会はキリストの体です。教会の頭はキリストです。教会の所有者はキリストです。そしてキリストは大祭司としてご自分で贖いの業を成し遂げられました。私たちの罪は、イエス様が十字架上で流された血の働きによって私たちを罪から贖い、私たちの罪を清めてくださいました。

もしも私たちが、イエス様の血の清めの業に信頼し、神様に自分の罪を告白するならば、大胆に神に近づくことができます。いつまでも下を向いて自分嫌悪を感じながら、いつまでもみじめな状態でいる必要はありません。また人から咎めを受けながら悪い悪いと責められたままで生きている必要もありません。神様が罪びとの私たちを受け入れ、義とし、立たせてくださるのです。

神様は私たちが礼拝の中で真心から神に近づくように招いていらっしゃいます。

一人一人が神に近づき、神の前に出て、神と交わるように招いていらっしゃいます。神様を賛美し、祈り、御言葉を聞き、自分を捧げる心からの礼拝をしましょう。

10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。

デトロイトJCFという教会はキリストの所有物です。イエス様のものですから、たとえサタンの攻撃にあっても、イエス様が守ってくださいます。

人を教会から離れさせようとするいろいろな動きがあります。教会のミニストリーをこわそうとするいろいろなサタンの攻撃があります。

人はいろいろなことで動揺したりします。迫害や異端の教えや非キリスト教的な教えで動揺する人があるかもしれません。将来教会はやっていけるのだろうか、と動揺する人があるかもしれません。あるいは自分たちが正しい教えに立っているのだろうか、と動揺する人がるかも知れません。

でも聖書は動揺するな、と言っています。

動揺しないでしっかりと希望を告白しようと勧めています。どうして動揺する必要がないのか?それは神の守りがあるからです。神の家である教会はイエス様のものだからです。イエス様がご自分の民を守ってくださるからです。大牧者なるイエス様がご自分の羊を守ってくださいます。

ですから大丈夫だ、教会は信仰をもって神を信じてやっていけば何とかなる、という希望を持つことができるのです。

信仰をもって神様に近づくならば、神様は必ず助けてくださるという希望をもつことができるのです。

私にとっては、ビザの問題でも、人間的には途方にくれるような状態でしたが、神様は逃れる脱出の道を備えてくださいます。ですから、教会に試練があっても、サタンが揺さぶりをかけてきても、イエス様が必ず守ってくださいます。ですから動揺する必要はありません。

10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。

一般に人は愛を失い、そしりやつぶやきや悪口に走りがちです。人をほめるよりは人を悪く言いがちです。だからこそいつも愛しあうように注意しあう必要があります。

またよい行いに励むようにいつも注意しあう必要があります。礼拝しよう、伝道しよう、奉仕をしよう、人に仕えよう、親切にしよう、助け合おう、いつもそういうふうに注意されないと、自分のことばかり考えがちです。どうやって友達と楽しもうか、どこに行って遊ぼうか、どうやって貯金して家のローンを払おうか。みな結構なことなのですが、神様に仕え、教会に仕え、人に仕えるということを忘れると、自分勝手な生き方になってしまいます。

10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

愛と善行の具体的な例として集会をやめないこと、励ましあうべきことが説かれています。

日本人は集会をやめてしまう人が結構たくさんいます。これが日本でクリスチャンがなかなか増えない一つの理由です。でも初代教会ある人たちの中でもそういう人たちがいたようです。

いっしょに集まって礼拝をすることは神のみこころです。礼拝をやめることは神のみこころではありません。そのことははっきりここで言っておく必要があります。

どんなに立派そうな発言をしても、自分の教会の礼拝をいつも出ないで何かをいうならば、それはよい模範とはなりえません。

いっしょに集まることをやめることは、神のみこころに反しています。

ある人はいろいろな理由で礼拝やセルグループなどのクリスチャンの集会から身を引いてしまいます。

人が集会から遠ざかる理由はいろいろあります。

ある場合は、めんどうくさいからです。私がイエス様を信じて1年目はそうでした。日曜日に朝起きるのが面倒くさい、ついつい朝寝坊をして礼拝をサボってしまうくせがありました。

ある場合は傲慢からです。へりくだって神を礼拝しにいくのではなく、説教者の採点をつけにいく人もいます。今日の説教は70点、先週のほうがよかったかな。あの人の説教の方が面白い、ということだけで礼拝を終えてしまう人がいます。でも礼拝はだれかのの説教を採点しに行くことが主な目的ではなく、神の前にへりくだり、神に心を向け、神を礼拝することが目的です。

ある場合は忙しいからという理由で礼拝にきません。神様よりも仕事や別のことを優先してしまうのです。

ある人はあのいやな人がいるからという理由で礼拝にきません。人を愛することができない、敵をも愛しなさい、というキリストの戒めをなかなか守れないことが原因です。ある場合は自分勝手な理由を付けて、神を第一にしていないことが礼拝から遠ざかる場合もあります。ある場合は人を裁いているからです。

でも神様は、私たちが神を愛し、神を第一にすることを求めていらっしゃいます。ですから、是非まず礼拝をしてそれから一週間をはじめるということを自分の基本姿勢にしてください。

1回2回休んだからと言ってだれも文句をいいません。でもみなさんの神の前での基本姿勢が問われています。基本的には自分は礼拝を欠かさないで生きる、そういうライフスタイルを持っていただきたいと思っています。

神を愛しているか、善を行なっているか、ということと、集会を続けているか、ということとは関係があるのです。礼拝を守ることと神様を第一にして生きること関係があるのです。ですから礼拝する生活を堅持していただきたいと願っています。

25節に言われている第二の勧めは励ましあうことです。試練の中にいるJCFは今こそ励まし合いを必要としています。

日本人の中で、人を悪く言う環境の中で育った人がいます。ピアノの先生にさんざん悪く言われてピアノがいやになった人もいます。親に悪く言われて反発して育ち、今度は大人になったら親と同じようにすぐ悪く言う癖がついてしまう人もいます。

前に北米で草野球のプレイをみる機会がありました。野球をみていると、面白いです。日本では、空振り三振をすると、「なんだ、へたくそ。」「だめじゃないか。」などど悪く言う癖を持っている人もいます。

でも北米でソフトボールをみていると、空振り三振をした人を励ますよい習慣があります。”Nice try.” 泣きそうになった子供には“It’s OK. Try again.”と励ますのです。 こういうはげます言葉はいいな、と思います。

日本人の中には「あれもこれもお前がわるい」、と攻め立てる傾向を持っている人がいます。日本には、そういう人に向かっていう面白い表現があります。「電信柱が高いのも 郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ。」

この言葉は「みんなお前が悪い」という傾向をもつ人に対する皮肉だとも受け取れます。

とにかく悪口そしりあら捜しをしないで、反対に励まし合おう、愛し合おう、これがキリスト教的精神です。

お互いに集会をやめたりしないで、イエス様の再臨される日が近づいているのをみて、ますますそうしようではありませんか、と聖書は私たちに教えています。

ますますそうしようではありませんか、と勧めています。

「ますます」というこの御言葉を、JCFに適応して考えてみました。この「ますます」の反対を考えてみましょう。仮にの話ですあってそういうことが現実の方向になっているわけではありませんが、「ますます」の反対の方向は、礼拝を家庭集会に切り替えて安くすませましょう、牧師なしで安上がりに済ませましょう、JCFのミニストリーを小さくしミニストリーを削りましょう、幼稚園も閉鎖しましょう、こうやって安易な道を探す、そういう縮小傾向は「ますます」とは程遠い方向です。

そうではなく、ますますをポジティブに当てはめて考えるとこうなります。「ますます」セルグループ活動を盛んにしていきましょう。「ますます」伝道していきましょう、「ますます」集会を盛り立てていきましょう。「ますます」礼拝やセル集会にでましょう、というふうにこのみ言葉を私たちにあてはめて考えることができます。

神の国は拡大すべきものです。ですから「ますます」という言葉がふさわしいです。からし種のように最初は小さくても、大きく成長することをビジョンにおくべきだと考えています。

私は近い将来、デトロイトJCFがもっともっと他の地域の方を励ます役割を担う方向にいきたいと願っています。

たとえば私たちのメンバーが活躍しているルイビルJCFをもっと助けるとか、助けを必要としているカナダBGCの教会を助けるとか、アメリカでもう一つの日系教会のチャーチプランィングを助けるとか、いま無牧になりつつあるアナーバーの教会を助けるとかというふうに、与える教会に成長したいというビジョンを持っています。でもそうなるためには複数のスタッフ教会で持つ必要があります。将来複数の働き人をもちたいというビジョンを持っています。しかし現実はまず試練の中にいるこのJCFの内部を固めることの方が先決です。外への拡大はまだまだ先の話です。でも将来的には、国内伝道や海外宣教に積極的に関わっていき、与える教会へと成長したい、と願っています。

おたがいに励ましあい、ビジョンを持ってますます集会を盛んなものにしていきましょう。教会を建て直しましょう。そのために祈りましょう。

みなさん一人一人が試練の中にあっても動揺することなく、信仰にしっかり立って集会を作り上げ、お互いに励ましあって生きていきたい、と願っています。

集会をやめることをしないで、ますます励ましあって集会を盛り立てていきましょう。