2007年8月5日(日)
マタイ6:24−34「心配しなさんな」(Do Not Worry.)
みなさん、こんにちは。
木曜日からJCF子供デーキャンプがあり、30名の子供さんが参加されました。子供たちにとても喜ばれて、楽しい時を過ごしました。
きょうはそのデーキャンプの最終日です。みなさんの中には、これをきっかけに礼拝にいらっしゃった方もいるのではないかと思います。きょう初めてこの礼拝にいらっしゃった方、もしいたら手をあげてください。その方々特に歓迎したいと思います。
お名前を言っていだだけますか?歓迎の拍手をしましょう。
説教を始める前に、立って周りの方と挨拶しましょう。
特にはじめていらっしゃった方のために、お互いに名前を言い合って、お互いの名前を覚えましょう。
握手をしてもいいですし、日本式の深いお辞儀でもかまいません。立って、しばらくまわりの方と挨拶をしてください。
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聖書にはいろいろな翻訳があります。この教会では、新改訳を使っています。新共同訳や口語訳をお持ちの方も」います。きょうは変わった訳をご紹介します。「コテコテ大阪弁訳聖書」というのがあるんですよ。関西からいらっしゃっている方も多いようですので、きょうは、大阪弁訳で、きょうの聖書の箇所を、読んでみます。題は「悩んだらあかんの巻」です。
マタイ6章25節から読んでみます。
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ちょっとおもしろい訳だったでしょ。
これからは標準語でお話します。
多くの人がいろいろなことで心配しています。
ある人は、仕事がうまくいくかどうかと心配しています。ある人は、いい仕事に就けるかどうかと心配しています。ある人は自分の子供が志望の学校に入学できるかどうかと心配しています。ある人は、子供の教育のことで心配しています。ある人は人間関係で心配しています。自分の主人が出張の時に子供に何かあったらどうしよう、心配している駐在員の奥さんもいます。
ある人は老後のことで心配しています。では収入が多い人が心配していないかというと、決してそうではないのです。欲しいブランドものが買えないと思って、心を騒がせている人もいます。極端な場合には、ブランドもの欲しさに、売春をする人さえもでてきています。富を第一にしていきていると、貧しいかどうかと関係なく、心配の種はつきません。欲しいものを買い過ぎ、借金しすぎて、ローンがなかなか返せなくて心配している人もいます。経営者の中には、資金繰りがうまくいかなくて、首をつろうか、と考えたことがある人もいます。多くの人が自分の生活のことで心配しています。食べること着ること、生活の必要のことで心配しています。
将来のことが心配だ、という人もいます。不安で仕方がないという人もいます。
老後が心配だという人もいます。十分な貯金がない、年金や保険が十分でない、老後に備えて準備していない、だから心配だという人もいます。
また、リストラを心配している人もいます。駐在員でも現地採用の人でも、もし会社をリストラされたらどうしよう、と心配しながら、戦線恐恐として生きている人もいます。
また首にならないように、会社からよい評価を得るために、不安を抑えながら生きている人もいます。
また実際リストラされた経験のある人もいます。
会社の経営が危なくて、雇用が不安定になってくると、前よりももっと心配になっている人もいます。
中高年層はいったんリストラされると、次にいい仕事を見つけるのがたいへん難しくなっています。前と同じようないい仕事に復帰できなくて、自殺する人もでてきています。いろいろな理由で自殺する人が増えています。
年間の自殺者は3万人台を超えました。
1997年に3万人を突破してから2006年の最近の統計に至るまで、毎年3万人を突破しています。日本人の自殺率は先進国の中で一番高く、世界でトップ10を占めています。日本人の自殺率はアメリカ人の自殺率の2.4倍です。日本はリトアニアやロシアウクライナなど国内の混乱が続く新体制移行国につぐ世界10位の自殺率の高い国になっています。日本の自殺率の高さは異常であるといえます。自殺者の多くが中高年の男性です。特に40歳代(3890人)、50歳台(5633 人)60歳代(7139)の男性が多く、失業、就職の失敗、生活苦などから、中高年層が将来を苦にし、また生きがいを失ったことによる自殺が増えています。命がいちばん大切なのに、生活苦で自殺する人が増えています。こういうデータをだしますと、日本が変わってきており、多くの人が生活のことで心配していることがおわかりいただけるのではないかと思います。
仕事を失ったりして、将来生活できなくなってしまうのではないか、食べていけなくなるいのではないかと、生活のことを心配して自殺をする人も増えています。
ある人は、夫に頼って生きています。でも夫に裏切られたらどうしよう、夫が浮気していたらどうしよう、家庭がこわれたらどうしよう、と心配している人もいます。
ある人は、特別な理由がなく、心配しても仕方がないとわかっているのに、家族のことや家庭生活のことや学校生活のいことなどで不安になってしまいます。
その心配や不安を抑えることができず、日常生活や仕事の妨げになっていることもあります。
不安になる日の方が、ならない日よりも多く、その状態が半年以上続いている人もいます。
「取り越し苦労」ということばがあるように、何でも過度に心配する人がいます。
その不安や心配はどこからくるのでしょうか?
病気がそうさせているのでしょうか?それとも周りの人々がそうさせているのでしょうか?環境がわるいためでしょうか?
何故多くの人が、生活のことで不安を覚え、将来やっていけるだろうか、と心配してしまうのでしょうか?
人が心配し、不安を覚える原因は二つあります。
第一の心配の原因は、自分自身の中にあります。自分自身が不安や心配事を作り出し、そして苦しんでいるからなのです。
ちょっと例をあげてみましょう。
仮に、急に
2000万円の借金ができたとします。一人の人は、極度に悲観して、「もうだめだ、死んだ方がいいかもしれない。」などと思い、悩んでいます。「
2000万円はすぐには返せない」などと悲観して、極度に不安になる人がいます。他の人は、「ローンで少しずつ返していこう、しぬわけじゃあないから大丈夫だ。最悪の場合には自己破産だってできるのだから。」などと、現実を重視して、積極的な行動をとることも考えられます。この大きな違いは、思考の方向性です。ネガティブに考えるか、それともポジティブに考えるの違いは大きいです。
不安や心配事でじぶんの心が騒いでいる時には、どうやってポジティブに考えることができるのでしょうか?きょうはその解決方法をお話しようと思っています。
とにかく、第一の心配の原因が、自分の心が心配事を作り出しているということです。
第二の心配の原因は、本当に頼りになる方を頼って生きていないからであるといえます。聖書にそう書いてあるんです。神様を知らないで生きていると、本当に頼りにならないものがないので心配になり、不安になっているのです。
あるいは本当は頼りにならないもの、たとえば富とか会社とか人間を頼っていきていると生活の心配から自由になりません。富に頼るという偶像礼拝のことは6章24節に書かれています。
6章24節を読んでみます。
6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。
人間は、何かに頼らなければ不安になります。
昔は、年功序列制と終身雇用があり、会社に頼って生きていれば安心だという人がいました。多くの人が大会社に勤めれば安心だと思っていました。寄らば大樹の陰とばかり、大きな会社に就職しさえすれば自分は一生大丈夫だと思う人もいました。でも会社は中高年層をリストラしはじめました。リストラは若い人にも押し寄せてきています。会社は神様ではありません。会社は自分を裏切ることがあるのです。
会社に対する信頼がなくなり、雇用が安定しないと、人々のこころはますます不安になります。
この先大丈夫だろうか、と心配になります。
また昔は、多くの方が専業主婦として夫に頼って生きていました。一家の大黒柱である夫にすがっていさえすれば大丈夫だ、と思っている人も多かったです。でも夫は神様ではなく、罪人です。妻を裏切ることがありえます。
その夫が浮気をしてはいないか、離婚になったらどうしよう、家庭がこわれたらどうしよう、と心配になる人もいます。
会社に頼り、夫に頼って生きていると、裏切られることがありえますので、不安になり心配になる人もいます。頼もしい会社に勤め、頼りになる夫をもつことはいいことですが、それに全面的に究極的に頼って生きていくことはできません。
では、不安があり、心配があるとき、どうしたらいいのでしょうか?
きょうの聖書の箇所で、「心配する」(メリムナオー)ということばが原語で6回、日本語で7回もでてきます。
その6回のところを読んでみます。
6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
聖書は、「心配してはいけません」といいます。心配するとは、いろいろなことで心が乱れることです。平安がなくなることです。「心配してはいけない」とは、人間として当然しなければならない家族の将来のための配慮とか準備をどうでもいいこととして否定するものではありません。「心配しなさんな、だから年金を積み立てる必要などありません」といっているのではないのです。
聖書は、生活のこと、お金のことはどうでもいいとか。そんなことを考える必要はないと言っているのではなにのです。
聖書は食べること着ること生活のことで心配するのはやめなさいと言っているのです。
6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
異邦人とはイスラエル人でない人を言います。生活のこと、お金のことは、多くの日本人が求めていることです。
聖書は、食べていけるかなど、生活のことを考えるのをやめなさいと言ってはいません。聖書は、神様はそれが必要であることを御存知なのだ、といいます。聖書は心配するのをやめなさいといいます。
ここでいう心配(ANXIETY, TO BE ANXIOUS ABOUT…)は、神への信頼を否定するような思い煩いのことです。
本当に頼れるのは神様なんです。
その神様に頼ると、心配が消えていきます。神様に頼ると、心の平安が生まれてきます。生活の不安がなくなります。
何故心配する必要がないかというと、全能なる神様が私達ひとりひとりを養ってくださるからなんです。神様がよくしてくださるからなんです。
世界をすみずみまで支配し、この世界を恵みをもって保っていらっしゃる神様が、鳥や草花を養ってくださっています。ましてやもっと大切なみなさんひとりひとりを養い育ててくださらないはずがありましょうか、これが聖書のメッセージなんです。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
聖書に空の鳥をみなさい、という命令がありますので、その命令を守りたいと思って、きょうは鳥の図案のついた週報を使いました。
そしてどうして鳥や植物が育ち、養われているのか考えてみましょう。そしてどうして花が美しいのか、考えてみましょう。
昔アンデス山脈の深い山の中で、食べ物が何もないところで不時着し、奇跡的に何人かの人が助かった事件がありました。
助かったのはよかったのですが、食べ物がありませんでした。
そこで一人の人が助けを求めに山を降りることにしました。何日も歩いてもだれもいません。飢えと寒さと疲労で倒れてしまいました。「もうこれでおしまいだ。自分はもうだめだ。生きていけない。」と思って目を閉じました。
もう一度目をあけると、そこに美しい花が咲いていることに気がつきました。この人は、その花を見ると、涙がぽろぽろ出てきました。「だれもいないところで、だれにもしられないところで、神様はこの花を養い、美しく咲かせてくださっている。この花は、だれの人の目にもとまっていないけれども、ただ神にみとめられるために精一杯咲いている。
神様はこんなへんぴなところにもいらっしゃって、命を与えておられる。自分は生きているんだ。生かされているんだ。この花のように生きなくちゃ。」
死を考えていた彼は、その花を見て急に生きる意欲がわいてきました。そして元気を出して山をおりました。そして民家を見つけて助けを求め、彼だけでなく、山の上に不時着した飛行機に残っている人も助かったという話でした。
神様が、野の花をさえ養い生かしてくださることを知った時に、彼もまた生かされている事を知り、生きる勇気がわいてきたという話でした。
聖書は、空の鳥をみなさい、野のユリがどうして育つか、考えてみなさい、と問いかけます。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
自然を見てご覧なさい。神様は、鳥も植物も生き物をみな養ってくださっています。
神の配慮はすみずみにまで行き届いています。
だから生活のこと、衣食の問題を心配するのはやめなさい、と聖書はいいます。
30節に書いてあるように、心配は神に対する信仰がうすいところからきます。
信仰が足りないと心配します。心配するのは、神さまの養いを信じきっていないところからきます。不信仰が原因です。聖書は「あなたがたによくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。」と問いかけます。大阪弁訳でいうと「ほんまに信心のうすいやっちゃな。」となります。
本当に信じ切れたら、心配はなくなります。心に平安がきます。
神様は、私達の必要をみな御存知です。神様が養いそだててくださいます。
だから衣食の問題、生活の問題も神様が何とかしてくださるはずだ、ということを本気になって信じることができると、生活の思い煩い、将来どうなるだろうか、という不安も消え、平安な心で生きることができます。
神様を信じて生きると、生活のことは心配いらない、というのは単なる気安めではないんです。
神様を第一にすると、必要なものはみな添えて与えられます。そのことをだれでも経験できます。
私は、大学を卒業したあと日立製作所というところでマーケティングリサーチをしていました。そこでの生活は、予想していたより居心地がよかったのですが、神の召しを受けて神学校に入りました。
すると家族からの大反対を受けました。
「頼れる定職がなくてどうやって生きていくのかね。」「そのうちこじきをするようになるよ。盗みをしなさんなよ。」といわれました。
神様を信じていたら大丈夫なのに、心配ばかりするんですね。
結婚する時も反対を受けました。「子供が生まれたらどうする。一家が路頭に迷うことになるかもしれないよ。」
留学が決まった時は反対はなかったのですが、家内を「連れていくとお金がかるから日本においていきなさい。」と余計な心配をするのです。家内も一緒に連れて行くと言いますと。「それじゃあ子供は作りなさんなよ。」と言うのです。
もう最初から最後まで生活の心配ばかりです。
私は神に祈りました。
「神様、私はあなたに生活のことを一切お任せしました。あなたの召しにしたがっていきますから、どうかあなたが養ってください。もし親に泣き付くようなことになると証しになりません。どうか日ごとの糧を与えてください。神様を信じたら、信仰によって生きていくことができることを人々に示すことができますように。」
私は神学校に入ってから、三度三度の食事を欠かさなければならなかったことはありません。親にも一切頼らずに生きていくことができました。
定職がない中で、学生生活留学生活を続けることは、はたからみると綱渡りのような生活に見えました。
でも神様を信じて生きるとき、これほど安定した生き方はないのだということを経験で知っています。
神様を第一にし、神を頼り生きていくと、すべての必要なものが不思議に与えられるんです。
神の国と神の義を第一にすると、必要なものはすべて与えられる、ということを私も体験することができました。そしてみなさん一人ひとりも体験することができます。
神様は、私達が何が必要なのか、よく御存知です。天地を統べ治めておられる全能なる神様は、必要なものを何でもお与えになることができるお方です。
神様を第一にして生きていきますと、神様を忘れてお金もうけに夢中になっていきる時よりもはるかに神から祝福を受けることができます。そして救われ、永遠の命を得ることができます。神様との交わりの中で楽しむことができます。神様を第一にし、神様に頼って生きていきますと、この世的な生活の思い煩いや心配から解放されて、平安のある幸せな生活をすることができます。
聖書は明日のことを思い煩うな、と言います。
心配すると、人から生きる活力が取り去られ、自分の心配がその人の能力を低下させ、人生を灰色にしてしまいます。
どうなるかわからない将来のために、くよくよかんがえて取り越し苦労をして思い煩うと、かえって大切な今を台無しにしてしまいます。
聖書は、今を大切にして、今の時を精一杯生きることを教えてくれます。
将来を思い煩って不安の中でよくよするのではなく、今やるべきことを精一杯し、明日のことは神様にゆだねて任せて生きましょう。
明日のことは、神様がなんとかしてくださる、ということを信じることができると、もういつまでもくよくよして心配しながら不安に生きる生き方から解放されます。
神様を信じて信仰によって生きてください。
ひとりひとりが、神様を信じて、生活の不安や心配から解放され、心に平安をもって生きていただきたいと願っています。
お祈りいたしましょう。